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Tadaoくん初めての温泉 伊豆.下田/山梨.下部
2023年2月27日〜3月2日 老いた姉の"おしゃべり"を聞いてあげる 卒寿お祝い旅行 
2023年2月27日
バスタ新宿
甲府駅
鰍沢口駅
お墓参り
鰍沢口駅
下部温泉駅
下部ホテル


K&MSecond Life


バスタ新宿・高速バスで甲府へ

静岡に住む老いた姉が卒寿(90歳)を迎えた。家では話し相手が少ないので、温泉に行って思いっきり"おしゃべり"を聞いてあげる 卒寿お祝い旅行。

 
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バスタ新宿南口→甲府駅トクワリ平日割引WEB回数券

甲府駅に到着 

2月27日快晴 新宿のバスターミナルを8:35分に発って、甲府駅に10:45分到着。バスタ新宿〜甲府駅が、トクワリ平日割引二人で\3400安くありがたい。
静岡の姉は、富士駅から身延線で下部温泉に午後2時頃到着予定、その時間に下部駅で待ち合わせの約束をした。


甲府駅前「武田信玄公像」

甲府駅でバスを降りて、JR身延線10:59分富士行の電車に乗る。
途中お墓参りする。お寺は下部温泉の少し手前の鰍沢口駅が最寄り駅。


甲府駅身延線ホーム
11:48分鰍沢口駅で下車。
電車を下りたのは自分たち二人だけ、昔は駅員さんも たくさんいて 活気のある駅だったが、いまは寂しい無人駅になってしまった。


鰍沢口駅から、お寺までは2`ちょっと歩いていく。駅を出て富士川に架かる富士川橋(富士橋)を渡る。ここ"鰍沢"で数少ない町の自慢は、古典落語の名作「鰍沢(かじかざわ)」に町名が登場する。


富士川に架かる富士橋(富士川橋)
名作落語「鰍沢かじかざわ」は、幕末から明治期に活躍した名人三遊亭円朝がまだ20代の文久年間(1861〜64年)三題ばなしの会で発表したと伝えられ、以来、歴代の名人がさまざまな工夫を凝らし演じてきた。
落語「鰍沢」あらすじ.....富士川町HPより転載
 身延山参りの旅人が、法論石霊場から鰍沢の船着き場に出ようとして雪道に迷い、山中の一軒家に一宿を請う。 そこにいたのは年ごろ28、29歳の美しい女「月の兎お熊」のどに刃物で突いたような月形の傷。 「見覚えがあるが」と旅人は首をひねり、「間違ったらおわびをしますが、吉原の熊造丸屋の月の兎おいらんじゃござんせんか」、 「おまはんだれ」、 「おいらんの座敷に上がったことがあるものだが」 警戒を解いたお熊に「心中をしたと聞きましたが」と水を向ける。 昔の客と知り、お熊は「心中はしたんですがやりそこなったんです。品川溜めへ下げられて女太夫になるところを危うく逃げて、ここに隠れているんです」 同情した旅人は、心付けを2両わたす。 お熊のすすめる卵酒に酔った旅人は隣の部屋へ。酒を都合しに、お熊が外出したところへ亭主の熊の膏薬売りが帰り、残っていた卵酒を飲むと、にわかに苦しみ出す。
 お熊が戻る。 「なんてことを。身延参りのカモを一羽泊めたんだ。胴巻きがずっしり重そうだからおまえが帰ってきてひと仕事するまで逃げられないように卵酒にしびれ薬を仕込んだんじゃないか」、 これを聞いた旅人は驚く。しびれた体にむち打って逃げ出し、小室山で授かった毒消しの護符を雪で飲み込むと、不思議に効いてくる。部屋に戻り、荷物を取ると一目散。物音に気づいたお熊は、鉄砲を持って追いかける。 懸命に逃げる旅人が行き着いたのは、そそり立つ絶壁。眼下には、鰍沢の流れ。降り続いた雪で水勢を増したものか、いきり立つような流れ。振り返れば、「亭主のかたき」と鬼の形相のお熊が迫ってくる。意を決した旅人はがけ下に見付けたいかだ目掛けて身を躍らせる。   
「ドシーン」 落ちた弾みで抜けた道中差しが縄を切ったか、いかだはばらばらに。一本の材木にすがって流れ下る旅人の目に、がけの上から、片ひざついたお熊が鉄砲を向ける。
「南無妙法蓮華経」 思わずお題目を唱えた直後、「ズドーン」と響く銃声。弾は、旅人のまげをかすめて傍らの岩に「カチン」と跳ねる。  
「ああ、この大難を逃れたのも祖師の御利益、一本のお材木(一片のお題目)で助かった」

富士橋(富士川橋)を渡ると鰍沢。
右に耐震性を強固する為の新しい富士橋を建設中。充分いまのままでいいと思うのだが、税金の無駄使いでは...


菩提寺の日蓮上人像

20分歩いてお墓に到着。このあたりの お寺は、日蓮宗の総本山久遠寺の近くなので ほとんどのお寺はが日蓮宗。ここMの菩提寺も勿論日蓮宗。

お墓参りを終え鰍沢口駅に戻り、13:17分の身延線に乗り、13:47分下部温泉駅に着く。ホームで間もなく到着予定の姉の乗る電車を待つ。


下部温泉駅(ここも無人駅)
間もなく甲府行の電車が到着。
しかし、姉がなかなか降りてこない。心配していると前方の車両から、笑顔いっぱいにゆっくり姿をあらわした。 90歳を越え、電車の乗降りも ゆっくりゆっくり なので無理もない。無事到着して久しぶりの再開にほっとする。


下部ホテルロビー

下部ホテル.フロントでワクチン接種証明と身分証明書を提示してチェックイン。
山梨グリーンゾーン旅割クーポンは「region PAYアプリ」を使ってスマホにチャージする。すっかり慣れとても簡単で便利。

 
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部屋に案内される。


ロビーには石原裕次郎さんが療養した様子が展示されている。
昭和36年(1961年)志賀高原でスキー中、右足首を粉砕骨折して、治療には下部ホテルで温泉療法を選び、1ヶ月半滞在、日々温泉療養を繰り返し無事回復した。


部屋に入り、お茶を飲んで一服しながら、早速"おしゃべり"が始まる。
姉は家でほとんど会話も少なく、今日は張り切って思いっきりしゃべるからね と意気込んで来てくれたのが嬉しい限り。
今日から三日間、K&Mはもっぱら聞き役に徹する。

『源泉浴槽ある大浴場』

せっかくの温泉なので、しばらくおしゃべりしたあと一時中断して、みんなでお風呂に行く。
下部ホテルは、泉質の異なる「二種類の源泉」があり七つの露天風呂と大浴場あわせて「十二の湯舟」が堪能できる...........下部ホテルHPより画像を転載

『内湯・壱ノ湯』
『内湯・弐ノ湯』
『足湯』

下部の温泉は最高にいいお湯で身心休まる。
姉の記憶力は抜群で、今日はメモを用意して昔の父母から始まって兄弟姉妹のエピソードを聞き書きとっておく。聞きたい事も整理して質問項目も用意してきた。

 
夕方五時半からの夕食は二階の食事処「里のいろり」の会席料理

 
自分はあまり飲まないが、姉もMも大のワイン好き。
二人は甲州ワインを器に なみなみ 注いでもらってご機嫌。

 
姉と下部温泉に来たのは今度で三度目になる。最初は2016年 その時は下部温泉でも他の「梅ぞの」という宿に来たことがあった。その次は、2018年 ここ下部ホテルにでの法事に出席した時になる。

 
料理は一品づつゆっくり運ばれてくるのでワイン飲みながら"おしゃべり"も弾む。


ほうとう
 
料理長渾身の「創作和食会席」という、ふれこみだったが、料理の 質、量、出すタイミングなどいま一工夫がほしい。 デザートをいただきご馳走様。


下部ホテルに昼ついてからず〜っと、もう何時間おしゃべりしてるだろうか。
姉と三人での雑談は、涙あり 笑いあり 怒りあり 悲しみあり、眠りにつくまでとても尽きない。


八時半から「信玄出陣太鼓ショー」が行われる。
下部ホテル、ゆかりの著名人に新渡戸稲造や高浜虚子など
2023年2月28日
下部温泉/二日目
終日・下部ホテル



 
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2月28日(火) 下部ホテル二日目。今日は一日何の予定もなく、お風呂"おしゃべり"お風呂そして"おしゃべり"たまに散歩。  贅沢な気ままの一日がおくれそう。

朝から昨日の続きのまま 姉の"おしゃべり"は絶好調。話は楽しい話もあるが、時には、自分の息子や娘の欠点を話すときは「自分の育て方に問題がある」と反省したり、嫁さんの愚痴、孫も小さな時はおばあちゃんを取合ったのに、大きくなると可愛くないことも多々あり、など悲しく辛い話も多々ある。でもここでしかできない話も多々あり、それが姉にとって ストレス発散になってくれればいい。

『貸切・竹とんぼの湯』
『貸切・竹とんぼの湯』

今日、火曜日は温泉清掃日で11:00〜15:00入浴できない。チェックインの時それは残念ですと もらしたのを聞きつけた 係の方から貸切風呂を利用して下さいと言われていた。
それで、今日は宿の好意で貸切風呂「竹とんぼの湯」を利用させてもらう。
「竹とんぼの湯」は大浴場の脇の通路を進んだ先にあり、何十人でも入れそうな大きなお風呂でびっくり、交代で入る。下部温泉には何度も来ているが、このお風呂は初めて利用した。

『岩・露天風呂』
『ひのき風呂』
八角・ひのき風呂
下部ホテルは、泉質の異なる「二種類の源泉」があり七つの露天風呂と大浴場あわせて「十二の湯舟」が堪能できる...........下部ホテルHPより画像を転載
2023年3月01日
下部ホテル
下部温泉駅
甲府駅
談露館
甲府街歩き
ホテル談露館


K&MSecond Life


2023年3月1日 下部温泉での二日間もあっという間に過ぎて、今日は下部を出て、甲府に移動する予定。

新渡戸稲造の書が
フロント受付壁に。

名残惜しいが下部ホテルをチェックアウト。
丸二日間、延々としゃべり続けても話が尽きない。姉が こんなに話を聞いてもらったのは記憶にないと言う、楽しそうな表情が何よりうれしい。母親が亡くなってから、この姉には長い間、親のようにいろいろ親切にしてもらい、こうして一緒にいられる時間はささやかな親孝行をしているような気持ちになる。


下部温泉駅ホーム右前方に下部ホテル

下部温泉駅発10:45分の甲府行の身延線に乗る。身延線は急行しか乗ったことがないと姉が言うので「30分しか違わないのに1000円出して急行に乗ることこそ無駄遣いで、鈍行の方がゆっくり車窓が見れていいのに」と言うと本当そうだねと笑って頷いていた。厳しい時代を送ってきた自分たちは少しの無駄ももったいないと思ってしまうのが姉も充分理解している。

今日行く甲府では昔懐かしい町を歩く予定。


かふふ来(幸福)の鐘 (旧甲府駅の釣鐘)

下部から約一時間、11:55分身延線で甲府駅に到着。
身延線降りて改札へ向かう駅のホームに、明治36年「甲府駅」開業当時の名残を伝える同年製造のレール台座上に吊り下げられた、かふふ来(幸福)の鐘(旧甲府駅の釣鐘)。かつてホーム東端の線橋に実際吊り下げられていたものだそうだ。


ホテル談露館には
温泉浴場がある

ホテル談露館は甲府駅を背に直進、市役所を左折したところにある老舗ホテル。
午後3時のチェックイン時間までだいぶ間があるので、荷物を預けて街歩きに出かける。


閉店した 岡島百貨店(1989年4月岡島HP画像)
2023年2月11日.読売新聞記事より転載
甲府のにぎわい支えた「山梨の象徴」百貨店、現店舗は営業終了へ
 岡島百貨店(甲府市丸の内)が14日に現店舗での営業を終える。甲府市中心街のシンボルとしてにぎわいを支えてきた店舗は老朽化が進んだため、東京都内の不動産会社によってマンションや店舗が入る2棟の複合ビルに再開発される。百貨店は近くの複合商業ビル「ココリ」に移転し、3月3日に再オープンする
 1843年に茶業と呉服店として創業した岡島は、1936年に本格的な百貨店として営業を始め、長年にわたって甲府の中心街のにぎわいを支えた。甲府市に住む男性(75)は「生まれる前からあった百貨店で、山梨の象徴のような存在。移転とはいえ、建物がなくなってしまうのはやはり寂しい」と話す。ココリに移転後は、地下1階から地上2階までの3フロアで営業する。売り場面積は今の7分の1になる。

旧岡島デパート前の通りを歩く。岡島デパートには思い出が沢山ある。小学校の頃、亡き母に連れられ岡島の大食堂がとても楽しみで、料理を待っている時「お母ちゃんテーブルに肘着いたらダメじゃん」と家で肘ついて食べると怒られた事母に言うと「今日はお客さんだからいいだよ」と変な理屈を言ったのが今も耳に残って懐かしい。子供の頃は岡島に行くのは晴れ晴れしい気持ちになったものだ。時代の波で憧れのデパートも無くなってしまう。思い出が又一つ消え去るようでとても寂しい。

 
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壁一面に上手な 武田二十四将のイラスト

旧岡島デパート前の紅梅通りから、姉の旧友のお店があった桜町通りへ。訪ねる予定は全くなかったが、歩いているうち、閉めてしまったお店の前に来てしまう。最後に会って何年も経っていて元気でいるか、在宅か何も分からない、再開の約束もしてない迷いながらインターホン押してみる。中から返事があり娘さんが出てこられる。事情を話すと、大喜びで中に招き入れて、お母さん〜と呼び、お友達がすぐに出てこられ、突然の訪問にもかかわらず大歓迎で、姉と手を取りあって再開を喜んでいた。

023年3月01日
下部ホテル
下部温泉駅
甲府駅
談露館
甲府街歩き
談露館


K&MSecond Life

甲府・桜町通り
2011年12月31日:山梨日日新聞の記事転載〈姉の旧友が経営していた店閉店の記事〉 
甲府市中央1丁目の婦人服店「ドレス-----」が今年いっぱいで閉店することになった。甲府空襲による店舗の焼失や火災などの苦難を乗り越え、市中心街で77年間、営業してきた老舗が姿を消すことになる。Y社長(84)は「長い間商売をできたのはお客さんのおかげ。今は感謝の気持ちしかない」と話している。 「ドレス-----」は1934年、Y社長の父親、先代・K-Y社長が設立。洋服用の服地を売ったり、オーダーメードの洋服を販売したりしていた。洋服の需要はそれほど多くない時代だったが、県内の教員互助会の指定店となったことで、女性教師を中心に売り上げを伸ばしたという。 しかし、1945年、甲府空襲によって店舗が焼失。1946年には新たな店舗で営業を再開したが、先代が病気で死去。19歳だった現在のY社長が跡を継いだ。洋服への女性の関心の高まりや好景気を背景に順調な経営を展開した。 1954年にM子さん(78)と結婚。東京のデザイナーに学んだM子さんが洋服のデザインを担当する二人三脚がスタートした。1961年ごろには「専門店としてやっていこう」と方針を決め、当時あまり普及していなかったレース服地を中心に取り扱い、顧客を増やしたという。 順調な経営の中、1970年、隣家の火事の影響で再び店舗が焼失したが、世間で広がり始めていた既製品中心の販売へ転換するチャンスと前向きにとらえた。「服地やオーダーメード服の販売から意識を変えるのは大変だった」(M子さん)が、徐々に既製品販売の割合を増やすことで、時代のニーズに応えてきた。 しかし、郊外への大型店舗の出店に伴い中心市街地を訪れる客が減少したことやネット販売の普及など、小売業を取り巻く状況は変化。Y社長は「時代の流れに対応するのが大変。夫婦で元気なうちに区切りをつけることにした」と閉店を決意した。 元教師の女性ら常連客からは「今までお世話になった。残念」との声が寄せられているという。Y社長は「かつては専門店が並び、山梨県中からお客さまが集まり、夜中まで働いたことを懐かしく思い出す。小さな商店や商店街が生き残っていくために、できることがあれば今後も協力していきたい」と話している。   

突然伺い非礼をお詫びしながら、思いもかけない再会だった。姉とお友達は昔話に花が咲き時間も忘れてしばらく話し込んでしまった。
お友達のご主人はすでに亡くなっていて、仏前でお線香をあげお参りもさせていただいた。全然予定してなかった旧友との再開を果たして「冥土のお土産が出来たよ」と二人から感謝された。

創業は、明治20年(1887年)、有栖川宮様(江戸幕府第14代将軍・徳川家茂の正室=皇女和宮の元婚約者)のご来県で宿泊所を山梨県から依頼され、宮様の宿泊所となったのが旅館としての第一歩。初代当主は政界にも関わりが深く「立憲政友会」の山梨支部が館内に設けられたため、政治の舞台になり、伊藤博文、原敬など歴代の総理大臣も宿泊された。....談露館HP参照

ホテル談露館HP画像
桜町通りから帰り道も昔の甲府の思い出を辿りながら、あちこちゆっくり歩いて、収穫の多い甲府の街歩きだった。ホテル談露館に戻ってチェックイン。
予約していた部屋は三階の和室。

ホテル談露館/じゃらんで予約.朝食付き3名\24576


談露館/和室
談露館の三階の部屋は、和室二間と応接間に坪庭、洗面所とお風呂も和風で、ゆったり広くていい部屋。部屋に入るとすでに布団がひかれている。


今日は夕食はテイクアウトして部屋で食べることになり、二人を休ませて、K一人で駅方面に買い出しに行く。駅ビルの.京樽/お寿司、鳥むら/焼き鳥、サボテン/とんかつ、など「やまなし旅割クーポン」で買ってホテルへ戻る。

帰ると女性陣二人はすでに入浴を済ませて部屋でおしゃべり真っ只中。

着替えてお風呂へ。談露館は小さいが天然温泉の浴場がある。
コロナ対策で密を避ける為フロントに連絡して空きがあるのを確認して、お風呂のキーをもらって浴場に入る。ちょっと面倒なシステム。



談露館の小さな天然温泉のお風呂
お風呂はぬるぬるの泉質でいいお風呂だ。

旅行「最後の晩餐」は、テイクアウトしてきた京樽/お寿司、鳥むら/焼き鳥、サボテン/とんかつ、とワインをテーブルいっぱいに広げて、最後の「おしゃべり」をしながらいただく。 老姉は寝つきがよく三日間一緒に寝ていてトイレも朝まで起きず、少しいびきかくくらいでまだしばらくはお迎えも来ないと確信が持てたので、そう言うと「本当!でも90年も使った身体だから中は相当傷んでいるはずだね」と言って笑った。

2023年3月2日
ホテル談露館
甲府駅で別れ
富士 新宿

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3月2日 午前八時〜ホテル談露館で朝食。食事処のテーブル席は、距離を広く開けて用意されている。黙食を無言ですすめられているようだ。


部屋に戻って荷物を整理してチェックアウト。
三日間もあっという間で、今日は甲府駅へ姉を送って別々に帰宅する。


子供の頃、姉に連れられ甲府に来て、甲府駅前の中華料理店でラーメーを一緒に食べた。その時姉から「Kしなちくは消化が悪いからよく噛んで食べな」と言われた言葉が思い出され、別れ際に姉に話すと大笑いしていた。姉の言った「しなちくは消化が悪い」..真偽はわからないが、当時姉は20代だった。


昭和30年代の甲府駅

甲府〜富士間の急行乗車券を買ってホームへ送る。
笑顔を見せるが寂しそう。また折があったら温泉行く約束をする。甲府駅で姉は改札を抜けると一度も振り返らないで、身延線のホームに下りていく。後ろ姿が見えなくなるのを確認して甲府駅前のバスターミナルへ。




 
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山梨交通 甲府駅前バスセンター

ちょっと寂しい気持ちで、帰りは甲府駅前バスセンターから14:00発のバスタ新宿行きの高速バスで帰路に就く。天気に恵まれ、親代わりの姉に代わりの親孝行が出来て、お遍路を終えた時のような清々しい気持ちを感じた。

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